茅ヶ崎出身の宇宙飛行士、野口聡一をご紹介します。
経歴紹介
野口 聡一(のぐち そういち、1965年(昭和40年)4月15日 – )は、日本人宇宙飛行士。神奈川県横浜市出身。身長180cm。彼の初飛行はSTS-107コロンビア号の事故後、NASA・スペースシャトル運航再開、最初の打ち上げとなった2005年7月26日のミッションSTS-114にミッション・スペシャリストとして乗船した時である。2009年12月20日にソユーズTMA-17に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)に約5ヶ月間滞在。
野口聡一さんが北陵高校出身というのを知って、どのような順序で茅ヶ崎から宇宙飛行士が誕生したのか気になり、調べてみました。
宇宙飛行士になるまでの経歴
父親の仕事の関係で、3歳より兵庫県揖保郡太子町に移り住む。斑鳩保育園を経て斑鳩小学校へ入学、小学5年時までを同町で過ごす。
茅ヶ崎市立浜須賀中学校、神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校、東京大学工学部航空学科卒、東京大学大学院工学系研究科航空学専攻修士課程修了。石川島播磨重工業(現・IHI)において航空技術者として超音速旅客機のエンジン開発に従事した。
wiki参照
ちなみに宇宙飛行士を目指したきっかけなんですが、幼少の頃ちょうど宇宙もののアニメ(サンダーバード、宇宙戦艦ヤマト等)が出始めていて、宇宙に行って仕事がいたいという漠然としたところからスタートしたそうです。
こういうお話を聞くと、どんなにすごい人でも始まりは小さな願望なんですね。
今更ですが、子供のころの素直な気持ちを思い出し、希望に向かって走りたいです。本当に今更ですが(笑)
石川島播磨重工業(現・IHI)において航空技術者として超音速旅客機のエンジン開発に従事していた際に旧・宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構:JAXA)の募集に応募し、572人の受験者の中から1996年に宇宙飛行士候補者に選定された。
宇宙飛行士になりたい方のための応募資格
1、日本国籍を有すること
2、大学(自然科学系※)卒業以上であること
※理学部、工学部、医学部、歯学部、薬学部、農学部
3、自然科学系の研究・設計・開発・などに3年以上の実務経験があること(修士号取得者は1年、博士号取得者は3年とみなす)
4、堪能な英語力があること
5、心身ともに健康であること
(身長:149~193cm 視力:両目とも裸眼0.1以上、矯正1.0以上 など)
6、協調性等、長期間宇宙飛行士業務に従事できる心理学的特性を有すること
この上記の応募資格を見てみなさんどう考えますか?
条件をかきだしてみると意外に間口は広いですね。
理系の大学を卒業して三年以上の実務経験があれば、応募が可能になります。ただし、応募資格をクリアしても、そこから選抜試験等で数々の関門を突破しなければなりません。
ちなみにある時期の募集なんですが、応募者は864名だったそうです。その中から宇宙飛行士になれたのは3人という事は、倍率は288倍です。かなり高い倍率です。
応募の流れ
まずは書類選考と英語検定です。
宇宙飛行士という職業柄、各国のスタッフと意思疎通する必要があるので、英会話のスキルが必須となっています。
第1次審査で、一次医学検査・一般教養試験(筆記)・基礎的専門試験(筆記)・心理適性検査が行われます。
2次試験は筑波宇宙センターで実施され、2次医学検査と面接試験(心理・英語・専門・一般)が行われました。この面接で大幅に人数がカットされ、たったの8名にまで候補が絞られました。
この8人から最終的に宇宙飛行士を選びます。その最終試験は筑波と、アメリカのヒューストンで行われました。内容は、長期滞在適性検査と面接試験です。この長期滞在適正検査というのは、狭い部屋に閉じ込められて、そこで色々な課題に取り組み、その行動を観察されたらしいです。
この長期滞在適性検査については、宇宙兄弟を読んだかたはご存知かと思います。このシーンの内容は特徴的だったので、よく覚えています。
試験を考えて実施する側も、受ける側も並々ならぬ苦労があったと想像できます。
この流れのように、様々な試験を突破して野口聡一は、茅ヶ崎市民のみならず全世界的に慕われる宇宙飛行士として、現在も活躍しております。
茅ヶ崎と野口さんの結びつき
ボーイスカウトで知り合ったワッペン製造業経営の友人に贈呈用ワッペンを依頼。乗組員全員の名前を入れてもらい、1人2枚ずつ贈呈した。ワッペンには黄色で縁取りをしてあり、ディスカバリー号と野口の出身地、茅ヶ崎のシンボル烏帽子岩(姥島)が陰に描かれている。スペースシャトルから出ている炎の色はグラデーションが使われており、凝った作りに仕上がっている。ワッペンは乗組員全員がユニフォームの青いジャケットに付けて搭乗した。
最後に野口さんの講演会でとても印象に残ったことがあったので、ここに紹介したいと思います。
「自分が持つ時間には限りがある。その時間をかけてでもやりたいと思えば、それは犠牲ではなく夢への投資だと思う」
夢に対するバッシングが激しい昨今ですが、夢は見ないと絶対に叶わないものなので、野口さんの言葉が響きました。
text by akahane