生きる意味など別になくても構わないですが、それでも何故生きるのか、一生懸命仕事をするのかっていうと、ぼくの場合は「いい言葉を残して死にたい」という目的があるからです。それがWebサイトのコピーなのか、このブログのような文章なのか、それはいろいろあるんですけど、それはさておき、今日は「いい言葉を残して死ぬ」について書こうと思います。ナイフや拳銃よりも強いもの、それはペンであり、言葉だと思うんです。どうも、くいしん(@Quishin)です。
言葉は人を鼓舞させたり、落胆させたりします。言葉は人を輝かせ、人を殺します。人類史上最高の発明は、電気でも飛行機でもインターネットでも、はたまた宗教でもない。言葉なんじゃないかなとぼくは考えてます。
インターネットという「場所」の軸
インターネットで何か書くのはどういうことかというと、「場所を超える」ということだと思います。これはいつも言ってるやつですが、ツイッターは、レディ・ガガが世界の裏側にいても、その瞬間に直接本人に言葉を投げられる。
紙という「時間」の軸
「紙」と言ってもそれは雑誌や書籍ばかりではなく、もちろんいまちょっとだけ盛り上がってきているリトルプレスなんかもそうだし、あとは、「手紙」もこれです。このブログを読んでくれる方はIT/Web系の人が多いので、「紙なんてすぐに捨てちゃう」という人も多いかとは思うし、ぼくもそういうタイプですが、それでも、「ずっと手元に置いておきたい手紙」みたいなものは誰にでもあるわけです。一応言い訳しておくと元カノからもらった手紙とかではなくてね。あとは、たとえば、フジロックのタイムテーブルとかもとってある(さっき引き出しを片付けていて思った)。
時間を超えるのってインターネットじゃないの?
インターネットは場所を超えて、一瞬でそこにアクセスできるんだけど、実は紙のほうが時間を超える力は強くもっているだろうなあって思ってます。なぜかというと、それは歴史が証明しているというのもあるし、特に日本のように神道みたいな考え方がある国ではやはり「物質」というのはとても強いんですよね。
インターネットはよくも悪くも、データでしかないですから。データというのはふとした瞬間に消えてしまう儚いものなんですが、紙、または書物というのは、火事や洪水でいきなり手元からなくなってしまうことはあるにしても、基本的にはそこに在り続けるわけです。というわけで残り続けるためには、紙である必要があります。
さいごに
で、この両方を持ち続けることが重要だなあと思うわけです。やはりネットだけでは、時間を超えられない。時間を超えるためには、紙が必要だなあと。
ところで「いい言葉を残して死ぬ」というと、ひとりよがりに聞こえますが、そうではなくて、これは他人に対する無条件の信頼です。自分がいい言葉を残していけば、あとに残った人が、勝手にそれを読んで、何かしてくれたらいいなあという。
あとこれは完全に蛇足ですが、「超える」じゃなくて「越える」じゃないの?とか読んでくれた人が考えてくれてたら面白いなあと思いました。どういう意味かってのは、人それぞれに解釈してもらえればいいんですけど。どうも、くいしん(@Quishin)でした。読んでくれた方ありがとうございました。ツイッター(@Quishin)はフォローお気軽に!