「何に挫折したか、どこでどうやって挫折したか」またはよく面接なんかで重要だと言われる「その挫折をどう乗り越えて今に至るか」なんてのは実はあまり重要じゃない(もちろん一緒に仕事をする上でそれを聞くというのはわかるけどね)。どうも、くいしん(@Quishin)です。
「挫折体験」よりも「喪失体験」
本質的には挫折自体ではなく「挫折に伴う喪失」がその人を形作る上で重要なポイントだって話です。よく「こういう挫折体験があるから、こうなりました」って話を聞くけど、それは本当は挫折がどうこうじゃないんですよね。それによって何を失ったのかという話なんです。
簡単に言えてしまうことではないから、言い方が難しいけれど、たとえば、幼い妹を失って、それが今の自分をつくってる、幼い頃に親を亡くした影響が自分の性格に影響してる、なんていうがまさにそうだ。実際に僕の周りにも自身でそうやって言う人はいる。ここに挫折はなく、喪失だけがある。
ああ、ここまで書いて思ったけどこれはインタビュー論、人に物を聞くときに考えたいことなんだなあ。挫折したこと自体ではなく、挫折に伴った喪失。それはたとえばなんなのか。それはたとえば、「夢」とか「なりたかった自分」とか「思い描いた未来像」を失ったということだ。そういった喪失は人を強くする、と、一般的にはされている。その「喪失」を探るのは、誤解を恐れずに言えば、とても面白いから、みんな魅せられてしまう。
どうも、くいしん(@Quishin)でした! 最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました!
追伸1
壮大な言葉遊びだなこれ。。
追伸2
いやしかし、もう少し何かを言いたい。
追伸3
これは世代の話にもつながると思う。
追伸4
失われた10年、または20年に生まれた今の25歳以下は、すべてを失った何もない時代を生きてきた(とかっていうよね、大人はね)。
追伸5
後付けの喪失ではなく、喪失の中に生きてきた。だから、強い。
追伸6
だけど本人たちはそんなこと知らず飄々としているけどね…。