僕は聞き手としての糸井重里のことをてんで考えたことがなくて、糸井さんはいつも僕の中で「書き手」でした。たった一節の文章で、読んだ人の人生を変えてしまう。僕はいつも、5年前も10年前も、今も、やりたいことはそれだけです。どうも、くいしん(@Quishin)です。
ただ、もうひとつの視点があった。書くほうではなくて、聞くほうの糸井さんです。
僕が今の仕事、ざっくり言うと、ウェブメディアの編集者という仕事なのですが、この仕事をしようと決めたのは、勤め先の社長である鳥井さんと、作家の桐谷ヨウさんと、同じ業界のスーパープレイヤーであるジモコロの編集長の徳谷柿次郎さんに「くいしんさんは人の話を聞くのが上手だね」と言われたからです。
このお三方の言葉がなければ、僕はもっとディレクター的な仕事、できれば「編集」と名の付かない仕事をしていたと思います。なぜなら僕はお笑い芸人を辞めてから雑誌編集の仕事をして、辞めたからです。僕にとって編集は、というか「自分が編集をやること」は一度終わったものでした。
春に転職して灯台もと暮らし編集部をやっているわけですが、なんの誇張でもなく、「えええ〜〜〜! また編集やらなきゃいけないの〜〜〜! どんだけ〜〜〜!」と思いました。「やらなきゃいけない」というのは、誰に頼まれたわけでもなく、自分自身の心につっこみを入れているわけです。「お前、またそれやるの?」と自問自答している感じ。いや、そう思っていたのは春頃までだけど。
で、そんなこんなで最近は「聞き手としての糸井さん」のことをよく考えているのでした。僕はそもそも何年も前から何かしらの文章を書くときに「糸井さんならどう書くか」と考えていたので、自然にそうなったわけです。
そこに先日のNHK「SONGS」に宇多田ヒカルが出演する回がありました。
なんかもう、他の、初めて音楽のアルバムを聴くとか、映画を観るとか、舞台を観るとか絵画を観るとか、そういった次元とは別の視点で食い入るように見てましたくいしんだけに。
糸井さんの言葉の投げかけ方、距離の取り方、頷き方、腕の組み方、手の振り方、相手の目をどれだけどんなふうに見ているか、糸井さん年取ったよな〜白髪多いな〜とかいうどうでもいい感想も含めて、いろんなことを考えました。
発見というか、自分の中で腑に落ちたことがいろいろあって、「見てよかったー」って感想でめちゃくちゃ勉強になったのですが、ひとつ気づいたことを読んでくれている方にお裾分けします。
それは、腕の組み方。
これ、見ていた人しかわからないかもですが、糸井さんは右手を左肘に当てて、左手を少し下におろしたりおろさなかったりしていたときがあったんです。
腕をガッチリ組んでしまうのは、心理学的にも相手に心を許していない態度ということになりますが、この姿勢はなんだか柔らかい印象を相手に与えるなーと思いました。
糸井さんっぽく言えば「気をゆるしてないわけじゃ、ないんだよ」みたいな感じ。
あとは、肩の角度というか、話し手との向き合い方なんかもグッときたのですが、この辺りは僕に会う機会があったときにでも聞いてください。
どうも、くいしん(@Quishin)でした! 最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました!