表現に対するクレームたった一本で、簡単に広告は撤去されちゃうんだ…。。最近はクレーマーを甘やかす風潮がいきすぎてるんじゃないかなぁ。
— 高木新平 (@Shimpe1) 2014, 6月 9
誰にも嫌われないようにしようとして、結局だれにも相手にされなくなっていく。
— 高木新平 (@Shimpe1) 2014, 6月 9
その表現が客観的にいいかどうかってあんまり意味ないと思うんだよなぁ。そんなことよりも意思が大事。込められた熱が世の中に伝播していくかどうか。
— 高木新平 (@Shimpe1) 2014, 6月 9
わかりやすい正解が無くなった今。それぞれが正解をつくっていけば良いのに、ただ自信だけが無くなっている感じがする。決められないことばかりが宙に浮いていく。
— 高木新平 (@Shimpe1) 2014, 6月 9
結局のところ、緊張関係がないんだな。ダラダラしちゃってる。空気が問題を解決してくれるんじゃないかって。ここからは、ゆるやかに死んでいくだけ。
— 高木新平 (@Shimpe1) 2014, 6月 9
人間だって、一緒だよね。 “@Shimpe1: 誰にも嫌われないようにしようとして、結局だれにも相手にされなくなっていく。”
— くいしん|大川卓也 (@Quishin) 2014, 6月 9
どうも、くいしん(@Quishin)です。先日、茅ヶ崎の剛腕システム屋さんにお酒をご馳走になった。そこで盛り上がった話のひとつが、「働きながらサーフィンしてるうちの会社のライフスタイルをもう少し世の中に打ち出していきたい」という話。「会社の姿勢を世の中に広める仕事」これ何? 広報? ホントこれでして、僕がやりたいことのテーマのうちのひとつが「新しい生き方、暮らし方、働き方をつくる」ってやつで、細分化、多様化していくそれらをフックアップしたり、フォローするような商売したいなって思ってます。やってくよー。
最近は家入さんよりも高木新平さんの言葉をよく追っている。年下だけどね。。「誰にも嫌われないようにしようとして、結局だれにも相手にされなくなっていく」これはもう真理だ。鋭利じゃない何かになってしまったら、それはもう終わりの合図だ。そういう意味では、あまりに多くの終わったものに囲まれて僕らは生きている。だから、まだ俺たち始まってもねえぜ的などこかの映画のような気持ちで生きていきたいと思った。
話が細切れだけど、あれ嫌だよね、「お前のために言っているんだぞ、そんなんじゃ世の中に嫌われちまうぞ」ってやつ。俺が不快だ、で、いいじゃないか。俺が不快だからヤメろ。俺が気分悪いから直せ。俺は何もできないけどクロコダイルを倒せる。ドンッ!