2016年を迎えたということで、「2015年」のことだけじゃなくて、この10年間のことも書いておきたい。どうも、くいしん(@Quishin)です。
2015年を終えるときに思ったのは「2010年代」の半分が終わった、ということ。僕はたぶん音楽やカルチャーが好きだからってのが大きいと思うのですが、「60年代の◯◯カルチャー」「90年代に流行した◯◯」のように物事を捉えていく人なんです。ファッションでも、「60’s風の◯◯」とかって言うじゃないですか。それです。
で、2015年ということは、その「半分が終わった」ってことなんです。1985年に生まれたので、この「10年間の真ん中」についてよく知っておくと、自分が何か考えるときにいいんじゃないかなあと思ってこのたび考えてみた。英語だと「ディケイド(decade)=10年間」という言葉もあるくらいなので、そうやって考えることは重要な気がしてる。
2006年から2015年
10年前はそこまでそういう考え方をしていなかったので「2006年から2015年の10年間」という風に、10年の真ん中から10年間のことを考えるのは初めてだ。ここでいきなりだけど、BuzzFeed JAPNの嘉島唯さんのツイートを引用させていただきますね。させていただく姿勢です。。
2005年に「電車男」がメディアミックスで大成功をおさめ、インターネットとオタクに対する偏見に光が射す。そこに2006年の「涼宮ハルヒの憂鬱」のヒットとmixiの流行、YouTubeとニコ動、けいおんのヒットなどの要因が重なり、今のライトオタクが誕生したのだと思っておる。
— 嘉島唯(nervous) (@yuuuuuiiiii) 2016, 1月 1
何が言いたいのかというと、オタクに社会的地位が与えられて10年が経ったってことです。
— 嘉島唯(nervous) (@yuuuuuiiiii) 2016, 1月 1
オタクカルチャーは幼児的発想に基づいていてサブカルチャーは成熟志向だった。だからこそ両者は相容れなくて、ユリイカなどでは「オタク vs サブカル」という企画が立てられたりしたわけですね。いつから両者はごちゃ混ぜになったのだろうか?
— 嘉島唯(nervous) (@yuuuuuiiiii) 2016, 1月 1
これです。本当にこれです。
ネットメディアも同様
嘉島さんは「オタク」という言葉で語られていますが、これは、電車男によって「2ちゃんねる」が一般層にまで伝わったという点から考えると、インターネットメディアのカルチャーが世の中に認知されて10年とも置き換えられるんじゃないかなあ、と。
そこからFacebookやTwitterはもちろん、iPhoneとスマートフォン、タブレットの登場などあって今に至るわけですが、これらによって、2015年(または2014年?)からのオウンドメディア、ウェブメディアブームが発生した。
(広義の)ウェブメディアなんてのは、2015年で、やっと10年かけて広い認知から定着につながり始めたばかりのジャンルなんですよね。改めてそんな、生まれたばかりのインターネット(とそのメディア)でこれから何をやるか考えるときには、本当に本当にフラットにものを考えなくてはいけないなあと思う。
この10年で一番変わったこと
オタクに社会的地位が与えられ、インターネットのメディアが認知されたこの10年で一番変わったことはなんだろう。それは特にウェブ上の、テキストによるコミュニケーションの重要度が上がったことだと思う。これはそのどちらにも言える。
オタクは部屋にこもってネットをやってたけど、ライトオタクはそれをツイッターで外でもできるようになった。メールからLINEに移行して、コミュニケーションとしてのテキストのやりとりは、より重要になった。インターネットメディアの地位が確立して、誰でも本や雑誌をつくれるようになったし、「書くこと」や「書けるスキル」の地位が同時に上がった。
最終的に何が言いたいかって、自分にとって、ラッキーな時代になってきたなーってこと。どうも、くいしん(@Quishin)でした! 最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました!
追伸1
なんだかんだインターネット話に終始しちゃったけど、もう少しカルチャー視点でも考えたいものです。。
追伸2
カレーライスが食べたい。これはずっと変わらない、日本人の欲求だなあ。