何もかもすぐに手に入ってしまって、翌日配送では遅いから当日配送だ、とかって言うけど、「待つこと」をもう少し大事にしてもいいんじゃないかなあと思う。どうも、くいしん(@Quishin)です。
でも、なかなか難しいですよね、「待つ」というのは。できれば待たされたくない、って思ってしまう。先日、郵便局から届く荷物を午前中着に指定してたんですけど、その日は11時半には出なきゃいけなかったから、そこまでに届かなかったらまた後日でいいやって思ってたんです。そうしたら、案の定届きませんで、家を出たわけですな。その後、12時40分頃に電話があって、出たら郵便局の人でした。「すみません! 時間内に届けられず、遅れてしまいました!」という案内。やたら丁寧だったし、そもそも12時過ぎまで待たずに、11時半には出ていたので、気にとめなかったんですけど、怒る人はこういうところで怒りますよね。余裕がないんでしょうか。
この荷物はCDだったので、たしかに早く聴きたい気持ちもあるけど、一刻一秒を争うようなものではない。だから、数日程度遅くなってもいいかって思う。何が言いたいかって、「早くしなきゃいけないこと」って、実はそんなに早くしなくてもいいんじゃないかなあって。実は「もう少し待つ」ってことをすれば、解決していくことも多い。もちろん、多くの人がその目標に対して動いている仕事なんかの場合はまた違うだろうけど。
「東京は人の歩く速度がすごく速い」とかって話とも繋がると思うんですが、そんなに急がなくても、「ゆっくりやる」とか「待つ」とかしてみたらいいんじゃないかなあと思う。というのも、これからは、「生きる速度」をある程度調整したり、自由に選択できたりする時代だと思うからです。特に90年代以降、「この速度でいこうぜ!」ってのが誰にも同じように求められていたんですよね。就活とか。
それが、SNS登場以降、大きく変わってきた。「そうじゃなくてもいいんじゃない?」と考える人、少しの変化に気づいている人たちが、圧倒的に繋がりやすくなったので、それぞれが目に見えるようになったし、繋がりからうねりを生み出せるようになってきた。「生きる速度」を選択できて、お互いに違う速度で生きる人たちを認められるような社会に、早くなるといいですよねえ。早く。どうも、くいしん(@Quishin)でした。読んでくれた方ありがとうございました。ツイッター(@Quishin)はフォローお気軽に!このエントリ、冒頭が少しだけ波田陽区さんっぽい。