参照:“共感”がWEBメディアをダメにした
(※3月23日現在は無料ですが、数日後に有料記事になります)
まずこちら読んでくださいね。これの話です。どうも、くいしん(@Quishin)です。
バンドの客が気に食わない
これは、バンドなんかでよく言う話と同じだと思うんですよ。音楽ファンがよく言う話で「セカオワのファンは嫌い」とか「バンプのファンはメンヘラばかりでイヤだ」とかってのがあるんですが、それに近いことなんじゃないかなあ、と。バンド自体やその音楽が嫌いなわけじゃないけど、取り巻くファンがなんだか気に入らない、という話。
というわけで、ここでは先の記事を「取り巻き(フォロワー)が腹立つ」という話だとして、これ、ぶっちゃけた話、僕もちょっとだけ思います。
ここ数年のほぼ日の評価
急にここ数年、『インターネット的』の文庫化や東京糸井重里事務所の上場準備とかあって「ほぼ日再評価」が加速して、ウェブやそのメディアに関わる多くの人が「糸井さんはインターネットメディア界のスーパースター! この方の言うことは間違いない!」という風潮に一気に傾いたんですよね。まさに「一辺倒」って感じです。
僕からしたら「そんなことずっと知ってたよ!」という気持ちもあり、「おいしい生活/成り上がり/MOTHER2/ほぼ日」くらいしか知らないウェブ人?の「糸井重里評」に対して、「なんだよそれ」という気持ちになったことも少なくない、というのが正直なところです。その上で、もちろんほぼ日が唯一の正解では全然ないよね、くらいの視点も持てないっていうのはどうなんだろうか、と。
で、この記事は編集が巧みなので気づきにくいかもしれませんが、途中から「ウェブ的(ほぼ日的)話法」でもなんでもない話に転がっているんです。武田砂鉄さんが自著でBunkamuraドゥマゴ文学賞をとって、授賞式の前に選考委員の藤原新也さんと対談し、ある出版人に「受賞させてくれた人に対立する意見を言うのはどうなんだろう」と苦言を呈された、という。
これは「ある出版人」の話で、ウェブの話でもなんでもない。単に「共感と同意が最重要とされてしまう社会」に対する意見です。つまり、タイトルはあくまで釣りで、「共感と同意が最重要とされてしまう社会」に対する批評というわけです。
そしてそれはたしかに、今の世の中に「退屈さ」があるとしたら、その正体のひとつだよなあと深く頷いたわけです。
どうも、くいしん(@Quishin)でした! 最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました!
追伸1
とはいえ、批評というか、「苦言を呈する」ってなことも、それ以上に退屈なんだよなあ。