最近、ありがたいことに「お前誰やねん」とか「何をやっている人で何をやってきた人なのか」ということを聞かれるので自分語りしてみます。元々は2011年にウェブメディアをやりたくてクイシンコムを立ち上げました。どうも、くいしん(@Quishin)です。

そもそもなんで芸名みたいなものがあるの? くいしんって何?

僕は高校を卒業してから吉本興業に入ってお笑い芸人の見習いをやってました。NSC東京10期生で、同期はオリエンタルラジオやはんにゃやフルーツポンチといった、豪華な顔ぶれでした。このときの、いわゆるピン名がくいしんで、相方から「くいしん」と呼ばれていました。オリエンタルラジオの中田のような天才的な才能をもった人が世の中にはいるのだなあと本当に驚きました。特にはんにゃの金田くんはタメ(高校卒業で入学組)だったので、特に衝撃的でした。

早々に挫折し、これは辞めたほうがいいと思いました。毎日ノートにネタを書いていたこともあり、元々好きだった文章を書く仕事をしようと思いました。そう思ったときから僕のライターとしてのキャリアがスタートします。このマインドはいまだに変わりません。僕は何屋かと言うと、Web屋や広告屋である前に物書き屋だと思ってます。発信することに意義がある、みたいなところです。

ライター、音楽、メディア、インターネット

その後、音楽が好きだったので音楽系出版社に入ろうと思い、音楽とそれを取り巻くメディアのことだけを考えて生きてました。そうしていると面白いもので、ガツガツ営業をしていたおかげで業界では有名な、元『rockin’on JAPAN』編集長が新しく始めた音楽雑誌を作っている会社に入ることができました。初めて正社員として世の中で働くことができて、この頃の経験は大変大きなものだったと思います。椎名林檎さんがドレスを着て撮影スタジオの階段からおりてくる姿には、あまりの美しさに度肝を抜かれたものです。しかしここで僕は紙メディアの限界を感じました。本当にざっくり言うと、「この先、大変だぞ」という、漠然とした不安が大きかったです。もちろん紙の書店や雑誌は今でも大好きです。同時にインターネットの素晴らしさに気付きました。「これ、凄いじゃん」と心底思いました。ここで自分の好きなものが、ライティングやメディアや音楽、またインターネットなんだなとかたまっていきました。「自分のメディアをもっているフリーのライターになろう」。そんな風に思い、出版社は1年くらいで辞めました。単純にあまりの激務に耐えられなかったというのもあります。

メディアをやってみよう

この頃、ひとつは元々好きだった糸井重里さんがやっている「ほぼ日刊糸井新聞」に強烈に刺激をもらってました。素晴らしいメディアだなあ、テレビや雑誌や新聞ではやれないことを明確な意志をもってウェブでやっているな、と思ったのです。あとは、音楽メディアで言うと、ナタリーの勢いも凄かったです。ちょうど世の中にグングンとナタリーが広まり始め、Twitterの流行もあり、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いってやつでした。もうひとつが、宇川さんのやっているDOMMUNEです。単純に、ヴィジュアルや思想が圧倒的にカッコよかった。ここでほぼ日っぽいものをやろうと画策してクイシンコムを立ち上げたのですが、フリーのライターとしてガッチリ稼げるわけでもなく志半ばで資金も尽き果て、IT系の企業で働くようになりました(よく言えばIT企業って感じ)。周りの仲間からは、「おもしろそう!」と期待を寄せられたにも関わらず、The Vitriolの記事をアップした辺りから、デイワークが忙しくなり、恥ずかしながら、ほぼ頓挫していたと言ってもいい状況でした。

やっぱりインターネット事業がやりたいと思い立つ

今一緒にやっている仲間が起業志望で、「自分の会社をやりたい」というマインドをもった人間だったため、それにのる形で、今メインで動いている事業、ルーバスへと繋がります。ここでは、ウェブサイトの制作や、サイトの管理、運営などのお手伝いなど、「これ」と決めず、様々なインターネット関連の事業をやっていこうと思っています。

僕は小児ぜんそく持ちだったこともあり、世の中にある「息苦しさ」みたいなものを嫌います。とにかく面白いことや楽しいことをやりたいという思いを第一にやってます。好きな作家は寺山修司です。いつもがんばっています。自分に大した価値がないということを知ると、なんだってできるような気がしてきますよ。読んでくれた方ありがとうございました。

2015.8.22追記
その後、都内でWebディレクターやってます!