Sumally|サマリー
http://sumally.com

株式会社サマリー
http://sumally.co.jp


Sumally|サマリー

サマリーというSNSについてのお話です。
「~というSNS」という言い方がそもそも間違っているかもしれません。
サマリーは以下のように言っています。

Sumally(サマリー)の目的は
この世界の存在するすべてのモノの”百科事典”
を作ることです。

“Sumally”とは、SUM(足す)とALL(全て)をくっつけて、「すべてを足し上げる」という意味をこめて作った造語です。2010年代の百科事典には、そのモノが何であるのかという情報はもちろん、誰がそれを持っているのか、誰がそれを好きなのか、そして誰がどこで売っているのかという情報も掲載されているべきだと私たちは考えています。

自分が何を持っていて、何を欲しいのか。そして何を売っているのか。ユーザーのみなさまに、モノの情報をベースにこのサイト上でコミュニケーションしてもらうことで、Sumallyは常に進化し続け、世界中のユーザーの力で、この世界の全てのモノを網羅することを目指します。

[引用元はこちらのページ]
http://sumally.co.jp

一度この文章を読み返したら、サマリーの話というより
インターネットの話になっていたので驚きました。


インターネット上でのコミュニケーション

今までインターネット上でのコミュニケーションには、
そこに言葉があることが条件でした。

そりゃそうです。

人と人はほとんど言葉でコミュニケーションをとっています。
そうでなければ、手紙やメールや電話はありません。
(もちろんそれだけではない、五感があるから面白いんですが、それは話がそれるので今は触れません)

でも、サマリーは違います。

言葉ではなく「もっているモノ」と「欲しいモノ」で会話をするのです。

言ってしまえば、サマリーは、それらをSNS上に登録して、みんなで共有するだけのサービスです。
本当にたったそれだけと言ってしまえば、たったそれだけなのです。

ここには、上っ面の共感やなんとなくの人の繋がりは存在しません。
ただ「同じモノを持っている人や、同じモノの趣味の人と繋がる」だけです。

古くはmixi疲れとか、今ではFacebook疲れとかLINE疲れとかいう言葉があります。

「既読」という名の、強迫観念にも似たコミュニケーション促進機能は、
LINEを爆発的に日本に広めた要因のひとつです。

サマリーにはこのようなものが一切ありません。
そこにあるのは「モノを愛するヒトの想い」だけです。

僕は物欲がなくて、欲しい「モノ」などほとんどありません。
もしあるとしたら、それは「友人がすすめてくれたもの」とか、
そういうモノです。

または「こういう考え方の人がこれを作ったので、これを使う」という考え方です。
僕はiPhone以外のスマートフォンを使う気が一切ないのです。

思い入れがあるからです。

何十時間も、Appleやスティーブ・ジョブズについての文章を読んだからです。

しかしそれでも、それよりも価値があるのが「これ、使ったらいいと思う」という
友人からのおすすめです。

あえて冷たい言い方をすれば、友人とは、自分にとって最高の企業の広告塔であり、
商品の購買動機になりえると思います。

これはとっくの昔から言われていることですが
インターネット上での評判を含めた口コミが、これからもっと有効になっていきます。
今ある風景どころではないと思います。

お金をかけただけの、「広告に作られたヒット商品」は
どんどん力を失っていくでしょう。
(ちなみに僕は広告と広告業界が大好きです)

本当に創造性の高いものだけが、これからの時代にマッチしていきます。


インターネット上での新しいコミュニケーション

これからの時代は、インターネットをスタート地点として、
リアルでの体験を経た上でのコミュニケーションが大事だと僕は考えてます。

貴重な生きる時間を潰すだけのくだらない課金ゲームなど、
本当は誰も必要としていないのです。

必要なのは、パズドラについて、様々な世代の人が分け隔てなく
おしゃべりできる、という価値です。


シャザム

たとえば、シャザムというアプリがありますが、
これは、もちろんその「アプリに音を聴かせると曲名を判別できる」という機能自体に対して価値があります。

しかし、シャザムの最大の魅力は、その機能そのものではなく、そこから生まれる
人間同士のリアルなコミュニケーションだと僕は思います。

居酒屋で友達と酒を飲んでて、ふとなんとなく聴いたことのある歌謡曲が流れてきたとき、
かわいい女の子とドライブしてるときに、昔ちょっと好きだったけど今はもうタイトルを忘れてしまった思い出の曲が流れてきたとき、
そういったとき、シャザムは最高の働きをみせます。
会話を加速させる働きをもっているのです。

この楽しさの正体は何かというと、「アプリの機能」ではなく
ただ単純に、「人間のコミュニケーション」なのです。

「ただのBGM」を、「人が共有した時間に鳴っていた音楽」に変えることができるのです。


SNSとしてのサマリーは言葉に期待していない

サマリーの凄さは、「言葉に期待していない」ところです。

このSNSは、インターネット上で言葉を交わし合う、
というコミュニケーションに触れていません。

mixiにもFacebookにもTwitterにもある
「言葉や文章を使ったやり取り」はここにはありません。

言葉は、提案者が用意しただけのものしかありません。
百科事典をつくるためです。

サマリーは必要以上のユーザー同士のコミュニケーションをあえて排除しているのです。
コミュニケーションは言葉ではなく「モノ」によって作られます。

だからこそ、サマリーは「モノの百科事典」になりえるのではないでしょうか。

僕は、インターネットはこれから、このようにあるべきだと思っています。

今、もっともウェブサービスの最先端をゆくサービスのひとつだと思います。

僕は根が物書きなので、底抜けに「言葉好き」のようなところがありますが
それでも、同時に、「言葉に縛られる」という感覚をもっています。
それを、純粋に、不自由に感じることもあります。

人が恋に落ちるときに、言葉は必要ありません。
そこにあるのはただの「心の揺れ」だけです。

それに近いものがサマリーにはあると思います。

ファッショナブルに演出されたモノとの出会いがそこにはあります。

サマリーは、「インターネットの次のフェーズを明確に見極めることができた人たち」が
つくった、世の中に愛されるべきサービスだと思います。

長文失礼しました。
さっと書いたので、読みづらかったらごめんなさい。
読んでくれた方、ありがとうございました。

Takuya Ohkawa|Quishin

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