知っている人は知っていると思うのですが、僕はお酒を飲むのが好きで、どうがんばっても月に10日は外で飲んでます。ただそれは、ひとりで家で飲むとかはまったくなくて、「外で人と飲む」ということなんです。どうも、くいしん(@Quishin)です。

なぜひとりでお酒を飲まないのか

「あ、俺はひとりではお酒を飲まないんだ」と、ふと思ったのですが、それは、お酒を飲むことはコミュニケーションだと思っているからです(またそれかよ)。

僕は「はたらく」というのは人と人とのコミュニケーションだと思ってます。なぜ、はたらきたいかというと、とにもかくにも「自分が仕事をしたい人と仕事をしたいから」という理由です。

参照:仕事、職業、はたらく会社を選ぶ基準。

矢沢永吉が(あまり詳しいわけではないので名前を出すのは気が引ける)「酒を飲むってときに、酔わないようにするのって意味わかんない。矢沢は、酔うために、酒、飲んでる」って言ってたんですが(意訳)、やはり僕も「酔うために」お酒を飲んでます。で、酔うと、どうなるのか。話が弾むわけです。

話が弾んで、どうなるのか。仲良くなりますよね。つまり、「酔い」はコミュニケーションのために存在しているのです(都合のいいやつだな)。

仕事をすること、「はたらく」こと。そして、仕事が終わって人とお酒を飲みにいくこと。それらがすべてコミュニケーションのためということは、僕はほとんどコミュニケーションのために生きているということだ。人との関わりのために生きている。コミュニケーション自体を生きがいと呼んでもいいような気すらしてくる。

コミュニケーションと関係なさそうなことは

となると、こうやってブログを書くことや、文章を書くこと、何かデスクワークをすることなんかは一見全然「コミュニケーション」とは関係なさそうだ。これはどういうことだろう。

思うにそれらの先にコミュニケーションがあるということなのかもしれない。デスクワークで生まれた資料とかなんらかの成果物は、人に見せるためにある(プレゼンとか)。(僕が書いているほとんどの)文章は、人に読んでもらうためにある。この場合の文章は、読んでもらえなければ、無いこととほとんど変わらない。

こうしてブログを書いていることは、日々、酒のつまみを製造しているようなものだ。今後も、張り切って酒のつまみを製造していきたい。

どうも、くいしん(@Quishin)でした! 最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました!