無意味なもののほうが好きだ。カルチャーや芸術なんかなくたって生きていける。だからこそ、豊かな国にはそれが必要だ。11月3日の文化の日に結婚した男女のもとに生まれた僕は、どうしてもカルチュラルにでないと生きられないらしい。ちなみに、両親が結婚にその日を選んだのは「雨が降らない日だから」だ。どうも、くいしん(@Quishin)です。
震災のときに、僕が吸っていたCHERRYというタバコは廃盤になった。愛するものとの別れは辛い。相棒の死に何を思うか、僕はよく知っている。どんなものがその人にとってどのような価値があるかなど当人にしかわからない。価値など人それぞれに違う。他人の価値なんか無視して、自分の尺度で生きればいい。
文章のうまい下手というのは、書き分けで判断できる。ですます調、だである調、そのどちらでも一定のクオリティで書けないならば、ライターを名乗るのはちょっと厳しい。小説家は、一人称で書くのは簡単だから三人称で書け、と言われることがあるらしい。三人称で書くほうが難しい。三人称で書くのが筋トレになるからだ。
ダウンタウンの松本さんが昔、「笑いのセンスは筋肉だから、常に普段から面白いことを考えておけば筋肉が鍛えられる」というようなことを言っていた。文章もそうだ。音楽も芸術もそうだ。まずは一番いいものをたくさん見ること。文章だったら読むこと。村上春樹も司馬遼太郎も、まず読む天才だ。その上で、書く天才になれる。岸田繁もそう。あの人は、天才的に音楽を聴くセンスがある。だから音を紡ぐ才能も優れている。圧倒的な文章を読まないことには、文章で人を圧倒することは絶対にできない。これは散文だ。ルールはない。