佐々木俊尚さんの『キュレーションの時代』を読んだ頃に「キュレーション」という言葉に感じたことと、今、「キュレーション」という言葉から感じとれることは全然違うなって思った。どうも、くいしん(@Quishin)です。
Amazon:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)』
これ2011年の本なんですね。驚愕するわ。。ぼくが読んだのは去年だったかと。自分はITちゃんと知っている歴凄く短いんです。2013年に知った、と言っても過言ではないです。
インターネットはまだ若い
Windows95以来、一般家庭にパソコンがあってインターネットに触れる機会が増えたとして、それでもまだ20年くらいのことです。ということは、インターネット上で行われているほとんどのことは「みんなにとって初めて」ということになります。
「インターネットする」という行為は、人間で言ったら、まだ未成年なわけです。「生きる」とか「食う寝る遊ぶ」「住む」なんかとは、比べ物にならないくらい、まだ歴史の浅いものです。
そんな中で、ブログが出てきたり、My Spaceやセカンドライフ、mixi、はてな等々、そしてFacebookやTwitterが出てきたので、みんなが「そこでしていること」にだいたいの場合、明確な名称なんて付いてません。「なんだこれは!」と、発見と驚きの連続です。
それこそTwitterの「公式RT」だって後付けですよね。最初の頃は、今で言う「公式RT」は「QT」だったんじゃないかと記憶してます(違ったら言ってください…)。「非公式RT(=他のユーザーのツイートに自分のツイートをくっつけたもの)」が「RT」でしたよね。
そこで、佐々木俊尚さんのようなITジャーナリストの方が、「これはこういうことだよ。キュレーションって呼ぶよ」ってみんなにわかりやすいように定義付けしてくれること。これが「ジャーナリズム」です。
「ジャーナリズム」と言うと、何かとすぐに「偉そうだ」とか言われがちな気がして、今日はこんな感じでジャーナリズムを説明してみました。「ジャーナリズム」ってそんなに難しいことではなくて、もっと「身近にあるもの」で「考えたこと」だと思うんだよなあ。どうも、くいしん(@Quishin)でした。読んでくれた方ありがとうございました。ツイッター(@Quishin)はフォローお気軽に!