トーチズメンバー(http://torches.jp)でいろいろ話してたんだけど「スマホによって触覚が失われる」という話が面白かった。「平面に触れるだけでは触覚が衰える」。で、これがホログラムになって「まったく触れない」ということになるとやばいと。人間は五感のうち、ひとつを失うことになる。
電車とか公共の場所で「誰もが画面をすりすりしているのが気持ち悪い」というおっさんがいるとWeb/IT屋さんは嫌な顔をするけど(僕もどちらかというとそうだし、四六時中iPhoneに触れている)、「五感を失う」と言われたらどうだろうか。ジョブズは子供たちにiPhoneを触っていい時間を制限していた。
テクノロジーが発達すると「それによって何が失われるのか」みたいな話が出てきて、そんなことはどうでもいい人とそれを守ろうとする人でケンカになるけど、「五感のひとつを失う」というのはあまりに致命的だろうという話。人間が今の人間ではなくなる。
もちろん、それでも「人間が今の人間ではなくなっても別によくね?」という人もいることもわかる。書籍や俳句や汽車や車やテレビの登場と同じで、どこで線を引くかの違いかってだけだろってのも。
「気」について考える
ここ2年くらいは「ビジネス」「はたらく」ということを熱心に考えてきたんだけど、ここ数ヶ月はそれは終えて次にいこうとしていた。で、何を考えてるかっていうと「気」みたいなものについて。こういう話はスピリチュアルとか非科学的だとかいう話になりがちなので話半分で聞いてもらえると嬉しい。
「ウェブメディア」みたいなテクノロジーの発達によってやっとこ成り立ち始めたもののことを考えていても、好きになるのは地域や郊外に焦点を絞ったものだったりして、それはつまり都市よりも地域や郊外に「何か」があるのではないかと探る行為に自分が興味を示しているということ。
ざっくり言うと、人の多い都市は「気が薄い」。森林が少ないとか二酸化炭素が〜〜というのもあるのかもしれないけど、もっと根源的に人間が必要とするもの(たぶんそれには名前がない)が足りていない。地方には、それがある。
で、僕がたまに周りの人に言う「妖怪って面白いですよ」というのは、つまり、その「気」の話というわけだ。「第六感」とか言うと引かれそうなので(というか誤解される可能性が高いので)、それを「妖怪」という名前のマスコットキャラクターを噛ませて話す。
時代の空気は、人肌の温かさを求めてる。みんな「気」を感じたい。皮膚感覚や肌感覚という言葉もこの辺りに入ってくるものだ。手作り、手仕事、クラフトというワードもそう。
「暮らし」みたいなテーマやリトルプレスが盛り上がっていること、ライフスタイル誌の増加、レコード人気の再燃、「地域」や地方創生というキーワード、すべてがこれらに当てはまる。
人間の体温を感じられるか感じられないか
オリンピックロゴの問題について僕がよく言うのは、「みんなが気に入らなかったから引きずり降ろされた」という話。なぜ気に入られなかったのか?それは人間の体温を感じられないロゴだったからだ。それが悪いという話ではなく、そう計算されたものだったんだけど、時代の空気には合わなかった。
これは予言だけど、オリンピックのロゴは、「筆で書いたような」とか「手描きの」ものになると思う。またはそう感じられるようなものに。そうでなければ、決まった案を引きずり降ろした意味がなくて、代替にならない。パキッとした見栄えのものは、ないです。
これらを「テクノロジーに呑み込まれんとする拒否反応」という文脈で語りたくはない。僕はテクノロジーが好きなんだけど、それ以上に自然のことが好きだってだけだ。
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